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新しい年に…

新年、明けましておめでとうございます。

今年は京都にある浄土宗総本山「知恩院」の年間行事ポスターの制作に関わらせて頂きました。


私も幾度となく訪れたこともあり、いつも観光客で賑わう観光名所としての一面もありますが、古くから浄土宗の総本山として、その時代その時代の人々の心の拠り所として存在しているとても歴史のある由緒あるお寺からのお声掛けに、私のようにどちらかといえば可愛いタイプの絵を描くものが関わらせていただいて良いものかと、どういう絵を望まれているのか、どういう絵を描いて良いのか戸惑いながら関わらせて頂きました。結果、こうして私の無理なお願いに写真のようにポスターを持って写真を撮って下さったお坊様の笑顔に改めてどのようなものでもその全てを丸ごと包み込んで下さるようなこのお寺の懐の深さを感じとても感動しています。



実は仕事で政治と宗教には関わらない…というのが若い頃からの私の心情でした。

私にとって善も悪もない自然そのものを敬う心、例えて言うならば山の神、海の神、八百万の神を敬う心はあるものの宗教という存在は全くもって遠い存在でした。


そんな私ですのでお寺や教会などにも全くご縁がなかったのですが、この何年か幼稚園や保育園のオリジナル絵本の制作に関わらせて頂く事が多く、園長先生などに園ができた成り立ちなどの話をお聞きする機会がたくさんありました。そうした園の成り立ちのほとんどが明治以降や戦後など人々が貧しく苦しかった時代、または災害で地域の生活はもちろんインフラや産業がズタズタになった時、少しでも地域の人々の教育や復興、それに関わる人々を助ける為にお寺や教会を解放し子供を預かることから始まったものが殆どでした。それぞれに宗教に違いがあれどその地域の人々のためにと尽くされた歴史をたくさん伺うことができ、そこにある地域と人との関わり方、そこに生きる人々に尽くしたいと思うリアルな心、そしてその心を育てる存在に気付かされました。そんな話を聞きながら宗教に対して頑なに拒否してしまうより、もう少し柔らかい心で接しようと自分自身の考え方に変化があった頃のお声がけでした。


そこに繋がっていく縁っていうのは不思議だなって気がします。


仕事をしながら多少は勉強したつもりですが法然上人の教えを深くは知らないし、鎌倉の時代に生きる人々と今の私たちがそれぞれ心に抱えるものにどれだけの違いがあるかわかりませんが、どの時代でも生きていく人の為にと思う真摯な心、平安や幸せを願う想いを共有できれば良いな…と、そんな思いが伝わると良いなと思いながら拙い絵かも知れませんが描かせて頂きました。今の先が見えない時代、平和も人々がそれぞれしっかり掴んでいないとスルリと吹き飛ばされてしまうかも知れないと危機感を抱きながらも、人の世界を築き維持していくのもまた一人一人の人とその人の心、そんな心に少しでも届く絵を描ければ良いなと願うばかりです。




これらのポスターはこれから1年間、様々な行事の折に全国のお寺の掲示板に掲示されるようです。

もし見かけましたら少し足を止めて見ていただければ幸いです




※最後になりましたが、巷では怪しい宗教の話で賑わっていますが、神様も仏様も人の幸せをただ願っているだけの存在。

どうかそういう話に取り込まれないようにしてくださいね。













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